酒と鮭とマヨネーズ

好きなものについてとか、思った事だとか。

真剣にジャニヲタ、だっていいじゃない!

7月中に連載っぽい記事を完成させるつもりだったのにできませんでした。雑誌については今度メモする事にして、今回は「真剣にジャニヲタ!でいいじゃない」っていう日記です。TLでたまーに、いつまでもジャニヲタでいいのかな…的な話題が流れてくる度に、色々考えてしまう。いけないんだろうか。その都度、結局「え~~そんなことないよ~~」ってなりつつも、考えてます。
 
ちなみに、私はそこそこ真剣にジャニヲタをやっているつもりです。2012年に関ジャニ∞を好きになったいわゆるご新規ですけども、CD全種買いだし、チャンスがあればコンサートも舞台も複数回も行くし、雑誌も結構な数買ってるし、テレビ番組もそこそこチェックして、日々エイトについて呟いている。なかなかにジャニヲタやってる会社員です。
 
なかなかにジャニヲタな私ですが、周囲には「幸せそうだね」と言われるばかりで、「それじゃだめだって!」的な事はあまり言われません。あ、行きつけの飲み屋のおにーさんは言ってたわ。まあでもそれくらいです。でも、TLなんかではよく見掛ける話題。一体なんでなんだろう、と考えてみました。
 
「こうしなければならない」というのは、何においても辛いもの。多分それは、オタ活においてもそうだと思います。アイドルを好きでいる事が楽しい、から、楽しい気持ちになるためにはアイドルを追い掛けなければならない、になったらとても苦しい…。「真剣にジャニヲタ!」が心配されるのは、そうやって突き詰めすぎて苦しそうな場合なんだろうなあと思います。
 
でも、それは「ジャニーズ」という対象が悪いんじゃなくって、単に依存の域まで偏ってるからではないかなあと考えました。その対象がジャニーズでなく恋だって、家庭だって、仕事だって、傾倒が依存の域まで達していれば、それがなんだって不健全だし、危ないんじゃないかなあ。
「これだけ」ってものをもつのは諸刃の剣で、それが駄目だったときの逃げ場が本当にない状態に陥るので…。バランスよく、好きも幸せもたくさん選択肢を持っているのがなによりのセーフティネットになる訳で。それがない様子なら、心配もされますね。そりゃ。
 
まあでも、「好き」な気持ちがそこまで自由自在なら誰も苦労しませんよね。「アイドルが楽しい!」って気持ちが揺るがない内は、真剣にジャニヲタでいて何も悪いことはないと思うんですよ。良くも悪くも人の気持ちは永遠はないし、自分のモチベーションと使えるリソースが一致する瞬間はそんなに多くはないんだし。気持ちは自由にならないし、時間もお金も有限だし、ままならないもんです。
 
それがジャニヲタ活動だろうと恋だろうと仕事だろうと自分の限りがありすぎるリソースを消費して成り立ってる訳で、その消費先に貴賤はないと思っています。自分が納得してやってるなら、口を出される事ではないと思っていて(ただし、それによる不利益被るのが自分、という範囲なら、ですかね)。
 
 
なんていうか、全力投球、って楽しいですよ。それ自体が楽しいですよ。
 
 
眠くって昼寝をするときだって、私はその時間に出来た他の可能性を捨ててそれに取り組んでいる。仕事をしてるときも、仕事のための資格勉強をしているときも、掃除とかしてるときも、アイドルの出演番組を観て、CDを聴いて、オタ友達とご飯を食べてお酒を飲んで、そういう時間の全てが、私の可能性を消費して出来上がっています。それを選択する理由はその時々に色々あって、理由なんて特にないこともある。

その中で自分が幸せだなー!って感じる時間が増えていけば登り調子、減っているなら下り調子。人生山あり谷あり。人生塞翁が馬。
 
 
私は今、横山さんを応援するのが楽しいです。割と比重は重いけど、でもそれだけでもないっぽい。私的にはいい塩梅かも知れません。そう上手くはいきませんけど!でも、上手くいかない、ままならないもんだねともだつきながら、適宜楽しいと幸せを感じられるなら、それはそれでいいもんなんじゃないかな、と考えておりました。
 
 
そんなわけで、真剣にジャニヲタだっていいじゃない!楽しいも幸せも、他人が決めることでもないんだし。と主張したいと思います。増えていけばさらに素敵ですね!ということで!完全に日記でした!お付き合いありがとうございました!

 

自担を応援する上で、出来るならやっておきたい3つの事(テレビ/ラジオ編)

前回、こんな記事を書きました。今回も引き続き自分用備忘録です。

自担を応援する上で、出来るならやっておきたい3つの事(CD/DVD編) - 酒と鮭とマヨネーズ

 

「今度とも横山裕さんのお仕事で楽しんでいきたい身としては、限りある己のリソースを効果的に使いたい。」原動力はコレです。「こうしなければならない」という話ではなくって、最善ってことを考えてみるエントリ。今回は、テレビ・ラジオ編です。
相変わらず、出来る事をやっていきたいな~と個人的に考えた事をまとめております。網羅性も特に考えてないです!すみません!

  • 出演番組を観る・聞く(番組名やハッシュタグ付きで、リアルタイムで盛り上がると尚良し)
  • ご意見・ご感想を送る
  • 素敵なローカル番組は、自分の地域でも放送して貰えるよう要望を送る


視聴率や聴取率をUP出来たら一番なんですが、なかなかそれは難しい。それに、発信側もそろそろ、視聴率・聴取率で番組の価値をはかるのは難しくなってきた、なんて話も聞きます。色々指標が模索されているみたいですね。だから案外、声を上げるってことも大事になってきてるんじゃないかって思います。これについてはのちほど。

ちなみに、視聴率・聴取率の調査についてはビデオリサーチ社参照です。2015年の03月31日からまた何か変更あったみたい。はじめて知った…!

 

視聴率調査について(視聴率ハンドブック) | ビデオリサーチ

ラジオ個人聴取率調査 | ビデオリサーチ

 

では、以下でトピックを整理整理。

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自担を応援する上で、出来るならやっておきたい3つの事(CD/DVD編)

アイドルをどんな感じで応援するかって、各々あると思うんですが、私は「お仕事での活躍」を願ってあれこれしたいタイプです。
ファンとして好きにしていれば応援になるんですけど、今度とも関ジャニ∞横山裕さんのお仕事で楽しんでいきたい身としては、限りある己のリソースを効果的に使いたい。という訳で、どうやったら効果的かなというのをまとめておきたいなと思いました。やれることは色々あると思うのですが、まずはCD/DVD編ということで。
売り上げが大事なのは言わずもがなですが、無い袖は振れません。買うときに以下3点気をつけるだけで、+α応援になるんじゃないかな!ということで。

 

  • CD/DVDは、予約開始から3週間以内に予約する
  • 予約はフラゲ日か発売日、遅くとも初週に受け取る
  • アーティスト名+曲名で呟く(発売日もあると尚良し!)

 

どれも言わずもがな、よく分かっている人には敢えて言う事じゃないと思います、すみません…!私のメモ代わりの記事ということで、ご勘弁を…。次項で理由を挙げてますので、認識に誤りがありましたらご指摘いただけますと幸いです~。

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春は担降りの季節だと聞いて、担降りを宣言することについて考えてみたりして。

「担当」とか、「担降り」とかって、ジャニーズファンの中で共有されてる文化なんだなあとつくづく思います。ちゃんと定義されてる言葉じゃないんだけど、みんな各々に、「こういうものなんだよね」っていうのを持ってるんだなあと。

で、春は担降りの季節だ、という言葉をTLにて目にしました。それについては、各グループのツアーもひと段落して、新しい年のツアー情報がではじめるのが春だからなかな。番組とかも改編期だし、諸々切り替えやすいよね、とか、身もふたもない事を感じています。


「好意や興味関心の対象が変化する(特に情熱を傾ける対象が変わる)」という事について、「担降り」を宣言するって、どういう心境なのか、実を言うと不思議を感じた事がなかったんですよね。そういうもんだよね、って。

経験した事もないくせに、とは思うんですが、「担降り」って名前はついてなくても似たような経験はみんなあるんじゃないでしょうか。名前がつくことでそれをあえて見つめ直してるというか。だから、なんとなく自分の中にある経験値と、担降りのお見送りをしていく中で、そういうもんだよね、と思うようになった感じです。


私の話をしますと、「気持ちの供養、あるいは認識して表現することによる整理」「事務連絡」「人間関係への気遣い」として捉えてます。


気持ちの供養、ってなんのことを言ってるのかと言いますと、愛着のあるものを手放すとき、「供養」をする文化があるじゃないですか。人形とか、ぬいぐるみとか。あれです。

認識して表現する事による整理、ってまあそのままですが、認知療法とかにも通じる感じです。自分の感情がどんな色をしているか、かたちをしているか、確認して名付ける事で整理をつける。そうやって対処する。
この話をすると元英国首相のチャーチルが自身のうつ病を「黒い犬」と呼んでいた事を思い出したりします。「担降り」は病気とはまったく違いますけど、そこに至るまで悩んだ話とかを聞くと、人によっては結構重たい感じになるんだなあとも思っています。なので、きっと、各々の「担降り」に、色があり、かたちがあり、匂いがあるんだろうなと。無機物だったり、動物だったり。色々。


事務連絡、は言わずもがなの話で、チケットや番組録画での協力関係があったりする相手には、自分の立ち位置や気持ちを伝えておくべきってやつですね。
同じジャニーズ内で「担当」が変わるなら、今までのクラスタに対して、そしてこれからのクラスタに対して、サラリーマンでいえば「異動のご挨拶」みたいなものをした方がコミュニケーションが円滑、っていうのはすっと理解できます。

人間関係への気遣い、というのは、「同じファン」としてはじまった関係だし、ファンとして行動する対象が変わったら、このままの付き合いではいられないよなあ…みたいなやつです。
察するのが死ぬほど下手な私みたいな人間は、そういうのを表明しておいてくれるとありがたかったりもします。ほとんどの場合、別に付き合い方が変わる訳じゃないんですが、選ぶ話題とかは変わってくるしね。突然いなくなった方が心配したり、寂しかったりもするし。


とまあ、考えていくと、私としてはあんまり不思議がないんですよね、「担降り」を宣言する行為って。理にかなっていると思う。


「担当」が誰かっていうのは自分自身の心のありよう、徹頭徹尾個々人の心の動きの問題だし、各々持ってるリソースの兼ね合いなので、「担降り」が必要な人も不要な人がいるっていうのも、そりゃそうだよなーと。でも、「担当」が増えても宣言しますよね。あれも「担降り」と同じ理が動いていると私は思っています。


私はどうなのかはその時になってみないと分からないけど、きっと宣言はするんだろうなあ。気持ちなんて一瞬で変わってしまったりする訳で、先の事は分かりません。今はそんな気配がまるでない感じですけども。


担降りを見送るのはちょっと寂しいけど、担降りの方がもっと寂しいというか、その過程で味わう喪失と出会いが楽しくも辛いんだろうなあとか想像しています。



とまあ、そんなことをだらだら考えていました。初春に区切りがある国だから、この時期はどうもセンチメンタルな感じになりますね…。お付き合いありがとうございました!

上方落語と江戸落語と、関ジャニ∞の話。「コテコテ」と「粋」のフォーマットについて。

最近、上方落語江戸落語の違いについて話す機会がありました。落語には明るくないので主に聞き手だったんですけども、関ジャニ∞(というか、関西ジャニーズかも?)にも通じるな~~と勝手に感心したので、メモ。

上方落語江戸落語の違いについて詳細は、「文化デジタルライブラリー」を参照しました。

文化デジタルライブラリーとは!

文化デジタルライブラリーとは、政府が推進する「教育の情報化プロジェクト」の一環として構想されたもので、優れた舞台芸術をより身近に触れる機会を提供することを目的としています。


とっても便利。勉強になりました。で、上方落語江戸落語の違いについては以下に記載があります。

文化デジタルライブラリー
舞台芸術教材で学ぶ > 大衆芸能 > 寄席 > 落語
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/geino/rakugo/rakugo.html

ではでは、引用しつつ、いきます。

上方落語には三味線や鳴り物が入る「ハメモノ入り」の落語が多くあります。江戸っ子は華やかさよりも渋さを好む傾向がありましたが、上方の人々は派手で陽気な演出を好むところがあります。

…いわゆる、「コテコテ」と「粋」ですね。上方と江戸の文化について聞くと、この違いについて必ずと言っていいほど言及されるので、余程違うんだなあと感心します。そもそも見台は上方落語にはあっても江戸落語にはありませんもんね。

ほんの少ししか知りませんが、それでも上方落語は相当にぎやかだと感じます。見台があって、小拍子で音を立てるのも、「ハメモノ入り」も、道で興行をしていた辻噺の頃に、人を呼び込もうとしたことの名残だそうで。
で、この「ハメモノ入り」を自前でも出来るように、お弟子さんなんかが三味線や鳴り物の練習をするらしいです。

関ジャニ∞のライブに通じるところあるなあ~~って思いました。にぎやかで、寄って行って観て行って!みたいな雰囲気。煽りもガヤも楽器も、まず自前でやろうって感じ。エイトの公演に、グループ名や関西弁だけの問題ではなく、関西色を感じる時があったのですが、こういうことかなって思いました。不勉強で恐縮ですが、関西ジャニーズ自体そんな感じなのかなあ。


で、もうひとつ。噺のフォーマットの違いについて。江戸落語には上方落語と同じ話があるけど、演出が違うって話です。

ただし、東西の気風の違いが演出の違いにも表れています。例えば、上方の人々は江戸っ子よりも笑いを貪欲(どんよく)に追求します。貧乏長屋の住人が花見に出かける噺は、江戸落語では「長屋の花見」といい、上方落語では「貧乏花見」といいます。


よく、関西のお笑いは関東では受けない、とか、関西と関東で有名な芸能人が違うとかいう話は聞きます。これが「東西の気風の違い」ってやつなのかなと思います。関西で受けた芸人さんでも、関東では雰囲気を変えてきたり。


私も、「関西のお笑い」って何故か苦手で、エイトの過去映像ですら、苦手なものが含まれています。えぐみというか、毒気があったり、バイタリティがすごくて騒がしかったり。感覚の話ばかりで恐縮ですが…。


でも、特に最近のエイトの話や笑いは観ていても苦手だとは思いません。慣れただけかなあと思ったんですが、特にファンでもない子も、「最近印象が良い」みたいな事を言っていたので、変わってきたのかも知れないなあと。


よく観ているので横山さんを例にすると、昔から話している話題でも、尺や順序、演出を変えながら話してくれているのですが、その雰囲気が以前と違うと感じる。具体的にどうというのは言えないのですが、声の調子や展開の仕方が聞きやすい。

で、関西のローカル番組とかに出ているのを観ると、それよりはえぐみを感じる感じになっているように思います。

年齢もあるんだろうけど、でもそれ以上に、研究して、フォーマットしていってるんだろうなと。単純に「面白いように」っていう方向性もあるんでしょうが、場の雰囲気なんかを学びながら、気風や風土という側面も意識しているのかも知れないなと思いました。

事実、横山さんは「全国ネットであるか否か」を意識した発言を、たまにしています。単に話を面白くするための話題振りではあるんですが、どこで、いつ放送されるものなのかっていうのを勘案した喋りをしてるんだろうなと感じる瞬間だったりもします。

そういう、のんべんだらりと視聴者してると気付かない技の片鱗は、ファンになって気付きました。目立つ技術じゃないけど、「話の上手さ」ってこういうことかと…。


「コテコテ」を殺さず、「粋」にも対応していく。「関西」から出発しているし、そこを押し出しているグループだからこそ求められる方向性なんだなーと思いました。


という連想をしまして、今日も関ジャニ∞ってすごいな!ってなってます。色々こじつけて恐縮ですが、エイトファンの戯言としてここはひとつご容赦ください。長々とお付き合いありがとうございました!

アイドルファン初心者なりに、「アイドルのファンである」感覚について考える。

アイドルグループを好きになったのは関ジャニ∞がはじめてです。分からない事だらけ故に、思わず考えてしまう、なんで好きなんだろう、とか、どんな感じで好きなんだろう、とか。

 

エイトにはまった当初、私にとって「関ジャニ∞のファンである」ということは、「関ジャニ∞」というアイドルグループの、横山裕さんを主人公にした物語を"読んで"いる…という感覚でした。

それが現在は、色々あって変りまして、「関ジャニ∞」というアイドルグループの、横山裕さんを主人公にした物語を見守って、"一緒に生きて"いる…という感覚でいます。


この感覚は、フィクションの世界を愛していたころにはないものでした。感情移入とはまた別の感覚です。「アイドル」の「物語」が動く瞬間に居合わせるというのは、その「物語」に巻き込まれるということと同義で、いち読者のままではいられないんだなーと。当事者意識というか、そういうものがあるんだなと感じています。

 

ちょっと、思い返してみます。

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