酒と鮭とマヨネーズ

好きなものについてとか、思った事だとか。

春は担降りの季節だと聞いて、担降りを宣言することについて考えてみたりして。

「担当」とか、「担降り」とかって、ジャニーズファンの中で共有されてる文化なんだなあとつくづく思います。ちゃんと定義されてる言葉じゃないんだけど、みんな各々に、「こういうものなんだよね」っていうのを持ってるんだなあと。

で、春は担降りの季節だ、という言葉をTLにて目にしました。それについては、各グループのツアーもひと段落して、新しい年のツアー情報がではじめるのが春だからなかな。番組とかも改編期だし、諸々切り替えやすいよね、とか、身もふたもない事を感じています。


「好意や興味関心の対象が変化する(特に情熱を傾ける対象が変わる)」という事について、「担降り」を宣言するって、どういう心境なのか、実を言うと不思議を感じた事がなかったんですよね。そういうもんだよね、って。

経験した事もないくせに、とは思うんですが、「担降り」って名前はついてなくても似たような経験はみんなあるんじゃないでしょうか。名前がつくことでそれをあえて見つめ直してるというか。だから、なんとなく自分の中にある経験値と、担降りのお見送りをしていく中で、そういうもんだよね、と思うようになった感じです。


私の話をしますと、「気持ちの供養、あるいは認識して表現することによる整理」「事務連絡」「人間関係への気遣い」として捉えてます。


気持ちの供養、ってなんのことを言ってるのかと言いますと、愛着のあるものを手放すとき、「供養」をする文化があるじゃないですか。人形とか、ぬいぐるみとか。あれです。

認識して表現する事による整理、ってまあそのままですが、認知療法とかにも通じる感じです。自分の感情がどんな色をしているか、かたちをしているか、確認して名付ける事で整理をつける。そうやって対処する。
この話をすると元英国首相のチャーチルが自身のうつ病を「黒い犬」と呼んでいた事を思い出したりします。「担降り」は病気とはまったく違いますけど、そこに至るまで悩んだ話とかを聞くと、人によっては結構重たい感じになるんだなあとも思っています。なので、きっと、各々の「担降り」に、色があり、かたちがあり、匂いがあるんだろうなと。無機物だったり、動物だったり。色々。


事務連絡、は言わずもがなの話で、チケットや番組録画での協力関係があったりする相手には、自分の立ち位置や気持ちを伝えておくべきってやつですね。
同じジャニーズ内で「担当」が変わるなら、今までのクラスタに対して、そしてこれからのクラスタに対して、サラリーマンでいえば「異動のご挨拶」みたいなものをした方がコミュニケーションが円滑、っていうのはすっと理解できます。

人間関係への気遣い、というのは、「同じファン」としてはじまった関係だし、ファンとして行動する対象が変わったら、このままの付き合いではいられないよなあ…みたいなやつです。
察するのが死ぬほど下手な私みたいな人間は、そういうのを表明しておいてくれるとありがたかったりもします。ほとんどの場合、別に付き合い方が変わる訳じゃないんですが、選ぶ話題とかは変わってくるしね。突然いなくなった方が心配したり、寂しかったりもするし。


とまあ、考えていくと、私としてはあんまり不思議がないんですよね、「担降り」を宣言する行為って。理にかなっていると思う。


「担当」が誰かっていうのは自分自身の心のありよう、徹頭徹尾個々人の心の動きの問題だし、各々持ってるリソースの兼ね合いなので、「担降り」が必要な人も不要な人がいるっていうのも、そりゃそうだよなーと。でも、「担当」が増えても宣言しますよね。あれも「担降り」と同じ理が動いていると私は思っています。


私はどうなのかはその時になってみないと分からないけど、きっと宣言はするんだろうなあ。気持ちなんて一瞬で変わってしまったりする訳で、先の事は分かりません。今はそんな気配がまるでない感じですけども。


担降りを見送るのはちょっと寂しいけど、担降りの方がもっと寂しいというか、その過程で味わう喪失と出会いが楽しくも辛いんだろうなあとか想像しています。



とまあ、そんなことをだらだら考えていました。初春に区切りがある国だから、この時期はどうもセンチメンタルな感じになりますね…。お付き合いありがとうございました!